長崎市銃剣道連合協会

- 銃剣道の歴史 -

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■主な銃剣道の歴史■
 
 近世における戦いの主体が、それまでの刀剣から鉄砲(銃)に代わり、
近接戦闘は、銃の先端に短剣を付けて展開されるようになってきた。
我が国における銃剣道の芽生えは、明治初期に、
フランスから伝来した西洋式銃剣術を取り入れて研究がなされたものである。
 
 その後、日本独自の銃剣術として、宝蔵院流、佐分利流、疋田流、貫(管)流といった
日本古来の槍術の心技に源流を置き、剣道の理論等を合わせて研究を重ね、
最も日本人の性格、体格等に適合した武道として地位の確立がなされた。
また、銃の変遷に伴って展開されたもので、初めは、「銃槍格闘」、または「銃剣格闘」と呼ばれ、
次いで「銃剣術」をと名付けられ、さらに昭和16年大日本銃剣道振興会が設立された時に、『銃剣道』と改められたものである。
 
 当時は、銃剣道も他の武道と同様、実戦武技としての域を脱することは、甚だ困難な状態であった。
従ってその普及対策も、一応競技会が実施されていたものの、それに増して、戦闘のための訓練に重点が置かれていた。
戦後における銃剣道は、昭和31年全日本銃剣道連盟が結成された。
その後も、現代の武道として、戦前の戦技的内容を完全に払拭し、
古来伝統武道の真髄を継承しつつも、全く新しい目標に向かっている。
 
 競技目標・理論・使術等については、槍術や剣道と全く同様のものであり、
『現代社会人としての人間形成を資すること』を、目標にしたものである。
 

 
■長崎県の銃剣道の歴史■
 
 昭和32年3月24日、全日本銃剣道連盟長崎県支部、
全国で20番目の支部として発足する。
 
 銃剣道が日本体育協会からスポーツとして正式に認知され、
国体に登場したのは昭和55年・・・。
「スポーツとして銃剣道を復活させよう」と全日本銃剣道連盟が設立されたのは31年だから、実に25年の歳月を要した。
この間、競技人口を拡大するには、国体の競技種目に加えてもらうことが第一との認識から、日本体協に加盟を申請。
それは48年に認められたものの、国体参加は延びに延び。
公開競技としても加えてもらえなかった。
それを踏まえて、ようやく悲願がかなった訳で、
当時の銃剣道関係者の喜びは大きかった。
 
 55年栃木国体に初登場!!
県体協にとって、これは大きなプラス材料。
・・・というのは、長崎県の銃剣道界はレベルが高く、
春の全国選手権でも極めて好成績をあげている。
これから国体でも、期待できる競技である。
天皇杯得点を、大量に獲得できる競技の少ない長崎県にとって、
大きな得点源になるだろう。
 

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